河童伝説の始まりは九州からだった!?加藤清正から棲む場所を奪われた

川や池に棲んでいる河童伝説は日本全国にありますが九州の福岡県から全国に広まったという噂。

人間を助けるいい河童もいれば、命を奪う悪しき河童もいるため、子供は池や川へ一人でいかないことですね。

河童はどこからやってきた?

引用:Wikipedia

熊本県八代市にある河童渡来碑によると、河童は西暦313年から399年頃に八代の浜に渡来してきたといいます。

元々は中国の西地区タリム盆地のヤルカンド川の源流で生活をしていました。

しかし、乾燥地域という環境から食料不足。このままでは一族共々滅亡の危機でだったため、河童達は一族を二つに分けて、一方は中央ヨーロッパへ、もう一方は中国東側へ向かったといいます。

この時中国東側の族長として、九千坊という河童が一族を率いたとされる。

何か月もかけて中国東部へ到着した河童達でしたが、棲んでいた土地と同様に食料が少なかった。

食料を求めて海を渡って九州へ

日本海を渡ってやっとたどり着いたのが熊本県八代の浜だった。

多くの河童は海の怪物に襲われ亡くなったが、それでも9000匹もの河童が浜へたどり着いたそうです。

陸にたどり着いた後は熊本県の球磨川に棲みつき、馬や牛などを奪って生活。

お腹が減ると人間を川へ引き釣り混んで尻子玉という臓器を抜き取って食べちゃう河童。

ちなみに尻子玉とは、お尻の中にあるといわれている架空の臓器で、抜き取られるとそのまま死んでしまうそうです・・・恐ろしいやつらです。

加藤清正の側近を殺した河童

あるとき肥後熊本藩初代藩主の加藤清正の溺愛する側近(少年)が川で釣りをしていたところ、側近を川に引き込み溺れさせ命を奪ってしまった。

河童たちは当初そこまで気にしていなかったが、側近を奪われた加藤清正は激怒。大切な仲間を殺されたわけですから怒るのも無理ないですね!

加藤清正は九州全土の猿族へ河童を討伐するように命じ、命かながら河童達は球磨川から筑後川へ逃げたという。

九州から江戸に移り住んだ河童一族

筑後川に移り住んだ後、久留米市の水天宮の御守り役となった河童達。

幕末になると水神様が江戸の日本橋蛎殻町に移ることとになり、御守り役だった河童達も一緒に江戸の隅田川へ移住したのです。

この時までは河童の悪行も大分減り、むしろ水難を守る良いものとして崇められたことでしょう。

河童達を統括できなくなった九千坊河童

隅田川に移り住んだ河童は、華やかな江戸の世界が非常に居心地がよかった。

今まで我慢していた分、本能のまま自分勝手に食料を奪ったり、女性を襲ったりと族長だった九千坊河童が叱ってもゆうことを聞かないようになってきた。

疲れ切った九千坊河童の決断!

九千坊河童と対立する河童は一族から破門。

その後破門された河童は日本全国へ散らばっていったのです。

族長として心身ともに疲れてしまった九千坊河童は、藩主の許しを得て元棲んでいた福岡県の筑後川へ戻ったといいます。

九千坊河童の正体とは?

引用:Wikipedia

昔の中国の髪型に辮髪(べんぱつ)という髪型があります。

河童のお皿に似た髪型!?言葉の通じない外国人として河童として見られた可能性があります。

元々満州一族が中国を統一した際、敵と味方を区別する目的で、男性はラーメンマンのような辮髪(べんぱつ)を強制しました。

※兜をかぶるとき邪魔になる理由ででツルツルにしたという説もあります。

中国では昔の死刑囚の腸を引きずり出す恐ろしい拷問があった。

河童が尻子玉を抜き取り命を奪う話を似ていると思いませんか?

まとめ

河童伝説の始まりについて調べてみました。

中国からやってきた九千坊河童は最短ルートの九州へたどり着くのは自然の流れだと思います

日本全国に河童伝説があるので、さらに深く調べてみたくなりました。

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