イースター島のモアイ像の謎を考察。石像を造った意味を解き明かす

イースター島には世界的有名なモアイ像が約1000体あるそうです。

モアイ像はなぜ造られたのか?どんな理由で造られたのか?謎が多く気になるので調べてみました。

モアイ像を造った理由を考える

材料はどこから持ってきた?どうやって運んだ?

引用:Wikipedia

モアイ像は、西暦1400年から西暦1650年頃イースター島の先住民古代ラパヌイ人がに造ったといわれている。

火山灰が蓄積して固まった凝灰岩で作られた像で、柔らかくて割れやすく加工しやすく石器などで加工していたのだとか。

イースター島内にあるラノ・ララク山の岩が同じ凝灰岩ということから材料入手はこの山であることがほぼ確定だと思う。

モアイ像の運搬に関して、重さはおよそ20トン、大きいものだと90トンと非常に重い!

重機がなかった時代、自然のものを使った移動方法には縄移動、丸太移動などしかなかったと考えられている。

2012年、縄移動の実験を指揮したテリーハントとカールリポは、5トンのレプリカモアイ像を使って左右に揺さぶりながら移動させることに成功。

時間はかかるが確実に移動させることは可能だという証明になりました。

しかも、ラパヌイの古い言い伝えにはモアイ像は自ら歩いて移動したという伝説が残っていることから、縄移動説が有力なのかもしれない。

ただし立って移動させるには非常に不安定な移動方法で、何度も倒れ破損する場合が多かったと思う。

丸太移動に関しても9トンのレプリカモアイ像を使った実験で、40メートル動かすのに約2分かかるが移動は可能だった。

破損防止としては転がしながら移動する方が安定の手段であるが、大量の丸太が必要であるためイースター島の森林破壊につながる。

丸太は船や家に再利用、そして新たな苗を植えて循環すれば解決するが元の自然に戻すには時間がかかったと思う。

ラパヌイ文明とモアイ像の関係

引用:Wikipedia

イースター島が無人島だった時代、ポリネシアから海を渡ってきたホトゥ・マトゥアという人物と数人の仲間が初めての人間だったという。

数週間の航海のうち無人島(イースター島)を見つけたが温暖で漁もできる魅力的な島に定住することを決めたそうで、ホトゥ・マトゥアはその後、妻、母、姉妹とポリネシアの民100人の男性を引き連れて、無人島の開拓を進めた。

当時はカヌーで海を渡っていたことを考えると近くの島でも2000キロも離れていたで命がけの航海だったでしょう。

これがラパヌイ文明の始まりとされ、そもそもラパヌイというのは現地語で広い島(大地)という意味だそうですよ。

1722年に訪れたヨーロッパ人によると、島の住民がモアイ像にお祈りをしている姿を目撃したと報告している。

ちなみにモアイ像の目は最後に描かれる。その理由は目にはマナと呼ばれる祖先の力が宿っているとされ、仲間を守護すると信じられているためでした。

他国から守る理由だったのかイースター島の海岸全周にかけてモアイ像が配置されている。

モアイ像の背中にはマケマケ神が描かれている理由

 

引用:Wikipedia

マケマケというのは、イースター島に伝わる世界を創ったとされる創造神。

マケマケ伝説を要約すると、マケマケ神が海を見ながら理想の世界を考えていた時、肩にのってきた一匹の鳥を見て地上には人間を創ろうと思った。

そして地上には初めての人間(男)が創られた。

引用:Wikipedia

初めて作られた人間は鳥の頭をもった鳥人間で、まるでエジプト神話の冥界の神アヌビス神のような姿であったという。

その後、鳥人間に仲間が足りないということでマケマケ神は肋骨を1つ抜き取り、赤い粘土人形に入れて人間(女)を創ったという話。

以上から自分たちを創った神を崇拝するため、背中にマケマケ神を描いたのだと推測できる。

まとめ

モアイ像を造った理由と謎について考えてみました。

民族衣装を見ると、少し無理やりな考えですがマケマケ神のような鳥をイメージさせる羽のような姿で古代ラパヌイ人や祖先を大切に思う信仰深い民族であることがわかりました。

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